社長
●斎藤一穂(さいとう・かずほ)1964年東京都出身。玉川大学工学部機械工学科卒業後、米メンター・グラフィックス日本法人に入社。開発エンジニアとして勤務後、マーケティング業務を含めた営業に転属。93年に株式会社アメレックスコーポレーションを設立し代表取締役に就任。96年、有限会社プログレスインタラクティブを設立し、代表取締役に就任。翌年1997年、株式会社となり、現在に至る。
「インターネットの可能性」を信じて
起業を決意
- 最初に会社概要をお聞かせください。
斉藤社長: 会社組織となったのは96年からですが、それ以前、インターネットのれい明期の94年ごろからインターネットコンテンツの企画、開発、運用を行ってきました。現在では、パソコンだけでなくモバイルにも力を入れ、物販も行っています。
具体的には占いなどコンテンツの企画・制作や、ECサイトの運用・顧客対応の代行などです。みなさんもよくご存知であろうものとしては、テレビ・映画で人気になった『踊る大捜査線』の「青島コート」のオンライン販売です。こちらは企画・開発・運用を担当しました。
- 早い段階からインターネットに目をつけて起業されたのはなぜですか?
斉藤社長: 大学を卒業して外資系企業でエンジニアとして働いていたのですが、そこで通信系つまりインターネット用の半導体の需要が大きく伸びているのを目の当たりにし、「インターネットのマーケットはこれから大きくなり、時代が変わる」と肌で感じていたからです。
- インターネットれい明期に立ち上がり、今では消えてしまった企業も多い中、御社が生き残り成長しているのはなぜでしょう?御社の強みは?
斉藤社長: 新しいものを作りたいという探究心と、困難があっても逃げ出さない姿勢だと思います。あとは顧客目線に立つことですね。
実は「顧客目線に立つ」というのは、「逃げ出さない」ということと大いに関係しているのです。お客様のことを満足させようと思って仕事をしていたら、その仕事を途中で放り出して逃げるなんてことはできませんよね。そして、自分が生み出したものがお客様に満足してもらえれば自信にもつながります。こういったことをいつも心がけていられるのが強みではないでしょうか。
- 起業にあたり不安はありませんでしたか?
斉藤社長: もちろんありました。でも「期待が不安を上回るタイミング」というのがあり、背中を押されて起業にいたりました。
- 「期待が不安を上回るタイミング」というのは具体的には?
斉藤社長: 先ほども述べたようにエンジニアとして時代が変わろうとしていることを感じていました。だから、この先どうなるのだろうという不安より、将来に対する期待が上回ったので、起業を決意できたのです。
- それでも最初は色々苦労されたのでは?
斉藤社長: もちろんです。今では大手の企業さんともいいお付き合いをさせていただいていますが、最初のころはなかなか相手にされませんでした。それでも、時にはお金にならない努力をしながら成果を出していきました。上手くいっているのは氷山の一角、その背後には見えない努力・苦労が隠されているのです。逆にいうと努力なしには成功できないのだと思います。
- 御社では次々と新しいサービスが登場していますが、アイデアの源は何でしょう?
斉藤社長: 情報収集です。最近は忙しくて雑誌を買ってきても山積みになったまま、ということもよくあるのですが、雑誌やウェブサイトを見て情報を集めることを心がけています。
また、人とのかかわり合いも大切です。私の場合は特に異業種の知人が多いですが、そういった方とのかかわりの中で色々な情報を集めています。
しかし、情報はただ収集するだけでは価値を生みません。アイデアを生み出すためには、膨大な量の情報をきちんとふるいにかけてプライオリティ(優先順位)をつけることが大切です。そうして整理した情報を見ていると、時代の先を読むヒントが見つかるはずです。
- 『「見る夢」ではなく「つかむ夢」を』
- 子供時代は「いつも周りを笑わせたい」と思っていたという斉藤社長。社長という“職業”を意識し始めたころのお話や、お子さんとの関係などをお伺いしました。また人が成長するためには何が必要なのかについてもアドバイスもいただきました。