明日の仕事にきく。読めば俄然やる気になる ビジネスキーパーソンwebインタビュー

株式会社ホットランド
代表取締役会長兼CEO
佐瀬守男

昭和37年群馬県桐生市生まれ。東京YMCA国際ホテル専門学校を卒業後、焼きそばとおむすびの専門店「ホットランド」を始める。平成9年にたこ焼店「築地銀だこ」1号店をオープン。以後、海外を含め300店以上をチェーン展開し、昨年にはニュービジネス大賞アントレプレナー大賞部門優秀賞を受賞。

第1回 後編

自分でルールを作って遊ぶのが
好きなガキ大将

与えられたものでは楽しめない
小さいころはどんな子どもでした?

佐瀬CEO: 野球が大好きで、とにかく遊ぶのが好きでした。遊びも、決められたものより、自分でルールを作り新しい遊びを考えるのが大好きでしたね。

そんなに野球が好きだったんですか?

佐瀬CEO: 長島選手が好きで、小学校から高校まで野球をやってました。当時はうまいと思ってたんですが、今思えば、小さなお山の大将でしたね。

野球以外には?

佐瀬CEO: 与えられるものがダメで、とにかく新しいものを考えるのが好きでした。仮面ライダーカードやおもちゃには興味がなく、カブトムシを捕りに行ったりするほうが好きでした。それも、前日1人で、木に蜜を塗っておいて虫捕り当日に「この木は秘密の木ですごくカブトムシが捕れるんだ」と言って友達を驚かせていました。

 他には、近所の中学校から砂を持ってきて、自宅近所にグリーンやバンカーを作ってゴルフ場を作ったりしてました。

新しいものを作るのが好きなのは、今も変わりませんね。

佐瀬CEO: そうかもしれません。今も銀だこに飽き足らず他の業態を作るのが好きですから、それで、他の役員に新しいものばかりでなく、今あるものをしっかりやりましょうとたまに叱られますけどね(笑)。

銀だこの原点は、高校3年生!?
野球ばかりしていた、その後はどうしたんですか?

佐瀬CEO: 高校3年生のときの夏の大会で敗退して、野球部を引退した後は、何もする気がおきず廃人のようになってしまいました。食べる気も失せ、その夏だけで18キロもやせました。そんな時、何気なくテレビを見ていると、田宮二郎主演の『高原へいらっしゃい』というドラマが再放送されており、面白く見ていました。

 ホテルを再建していくドラマで、何かを作り上げていくというのに共感でき、「ホテルマンになろう」と思いました。「いつかは小さな高原ホテルを作るぞ」というのが夢になり、ホテル学校に進学することにしました。

では、そのテレビを見なければ、どうなってたんでしょうね。

佐瀬CEO: もしかしたらサービス業はしてなかったかもしれません。

 その後は、東京にある東京YMCA国際ホテル専門学校 に入学し、サービス業を学びました。厳しくて、当時は笑顔がよくないと木刀でぶっ飛ばす先生がいたんですよ。そこでサービスは形でなく心だと叩き込まされましたね。イヤでしょうがなかったんですが、今思えば、それが良かったなと思います。

今、銀だこにマニュアルがないのはそういうことからですか?

佐瀬CEO: 当時の先生が身をもって、マニュアルではなく本質を教えてくれたので、今のお店もマニュアルのように形ではないものを造りたいと思ってました。

長続きのしない悶々とした生活をしていた
卒業後はどうしたんですか?

佐瀬CEO: 料理を覚えようとレストランに勤めたんですが、ぶきっちょでうまくいかないし、上下関係は厳しく、皿洗いぐらいしかやらせてくれない。これじゃ何年かかるかわからないと辞めました。その後は、職を転々としました。

そのころは悩んでいたんですか?

佐瀬CEO: 俺はどうしたらいいんだ、何をしたいんだと悶々としてました。その後、結果が出ないまま、家業を手伝っていたんですが、25歳のとき、近くにできたマクドナルドを見て、俺がやりたいのはこれだと思い、会社を辞め、当時乗っていたローレルを60万円で売って、それを元手に、焼きそば屋を作りました。

考えて、一生懸命になれば、協力者が出てくる
今、悶々としている人はたくさんいると思いますが、何かメッセージを。

佐瀬CEO: 私も、25歳ぐらいまで悶々とし、「俺は、ダメ人間で、何もない」とびくびくしていました。そのときはとにかく悩みました。

 考えて考えて、悩んで悩めば何か出てきます。とにかく目先の仕事に打ち込んヘトヘトになるまで身体を使っているうちに気持ちも消えました。

 「考えて、一生懸命になれば、協力者が出てくる」。とにかく走りながら考えれば、新しいことが生まれます。机の前に座って考えても答えは出てきません。それは、ビジネスがすべて人を介して成り立っているからです。机の前に座っていたら人間関係に悩むこともなく、感動もできません。

編集を終えて
たこ焼きは、昔ながらの身近な食べ物。お客さんひとりひとりが、味に対するこだわりや思い入れを持っている。だから均一な味を提供する多店舗展開は難しいとされてきた。だが、それを成し遂げた佐瀬CEOのお話はとても興味深いものだった。「10年先を見越して、目先を一生懸命やり、悩み考える」。これは、とっても身に染みた。ビジネスでなくとも、人生も同じであろう。インタビューを終え、エレベーターまで送っていただいたときのお辞儀と目は、形ではなくやさしさに包まれているようだった。 (インタビュアー:まぐまぐ 野田宜成)