明日の仕事にきく。読めば俄然やる気になる ビジネスキーパーソンwebインタビュー

サイボウズ株式会社社長
青野慶久

●青野慶久(あおのよしひさ)1971年、愛媛県出身、大学卒業後、松下電工に入社し、その後26歳のときにサイボウズ前社長の高須賀宣氏らとともに、97年同社を松山市に設立し、副社長に就任。05年に社長に就任した。同社は06年に東証一部に上場を果たす。

第34回 前編

「やりたい」以外に理由は必要ない

創業10年でグループウェアのシェア第2位に
最初に御社の概要をお聞かせください。

青野社長:グループウェアの開発、販売を行っています。グループウェアというのは社内で情報を共有し、業務を円滑に進めることを支援するものです。例えば共通のスケジューラーなどですね。

日本におけるグループウェアのシェアでは、IBMに次ぎ第2位だそうですね。創業から10年でここまでシェアを伸ばした要因はなんだとお考えですか?

青野社長:「簡単だ」ということだと思います。それは使う人もですし、運用する側もです。価格が安いということもあるでしょう。

また、まずは無料で試してもらうことが可能ですので、「買って実際使ってみたら使い勝手が悪い、皆に使ってもらえない」ということがないので、それが信頼に結びつき、シェアを伸ばせたのではないかと思います。

まずはお試しから、というのは品質に自信があるからできることなんでしょうね。

青野社長:松下電器の創業者の松下幸之助にも似たようなエピソードがあります。彼が最初、自転車用のランプを作ったとき、誰も見向きもしなかった。そこで彼がランプを無料で配り歩いたところ、「これはいいじゃないか」と評判が広がったそうです。

同じように、私たちの会社も10年前に始めたころはシェア0%、ブランド力もゼロです。信用を得てもらうためには、まずは使ってもらわなくてはいけません。

独立時は大リーグに挑戦した新庄と同じ気持ち
創業しようと思い立たれたきっかけを教えてください。

青野社長:元々は松下電工で社内の情報システムを担当していました。そのとき、社内でのメール活用の普及には成功したのですが、共有スケジューラーの導入では失敗しました。難しすぎて誰も使っていませんでしたし、運用する側の手間も大変なもので、もっと簡単なグループウェアを作りたいなと考えていました。

そんなタイミングでインターネットが登場しました。インターネットに必要なのは「青い文字をクリックする」など、本当に簡単な作業だけです。それに大きな衝撃を受け、インターネットを元にグループウェアを作りたいと考え、そのために独立、起業することにしました。

独立に対して不安はありませんでしたか?

青野社長:特に独立したかったわけではありませんが、「インターネットを利用したグループウェアを世の中に広げたい」と思っていました。そのためにはソフト会社ではない当時の会社にいたままではやりにくいと独立を決心しました。なので、不安よりも「やりたい」という気持ちが強かったですね。

しかし、給料面などは不安ではありませんでしたか?

青野社長:日本のプロ野球選手で大リーグに行く人を見てみても、誰もが松坂みたいに最初から期待され多額の年俸をもらってるわけではないですよね。日本で続けていれば2億円プレイヤーだった新庄が、年俸2,000万円でも大リーグに行ったのは「やりたい」という理由以外にないですよね。私の場合もそれと同じです。

苦労よりも楽しさが先行
創業当初は色々と苦労もあったのではないですか?

青野社長:一般の方の目からすると大変だと写る状況だったと思います。半年、給料がなかったり(笑)。でも私はやりたいことをやっていたので、面白いと感じていました。逆に大きくなった今のほうが大変なことも多いかもしれませんね。

例えば?

青野社長:例えば製品にバグがあったら、どれだけの方に迷惑をかけることになるのか。多くのお客さんに使っていただいているからこそ、それだけ責任も重くなりますからね。

そして、会社が大きくなれば、内部のマネジメントも難しくなります。会社として組織作り、新しい社員の教育などが必要になります。3人で始めた時にはなかった苦労です。

グループウエア製品を中心に、多様な企業向けソフトウエアを提供。
やりたいことより今やることを大切に
創業から10年、東証一部上場にまで会社を成長させた青野社長に、組織作りで心がけていることや、やりたいことが見つからない方へのアドバイスなどを伺いました。