明日の仕事にきく。読めば俄然やる気になる ビジネスキーパーソンwebインタビュー

『ドラゴン桜』作者
三田紀房

●三田紀房(みた・のりふさ)1958年、岩手県北上市生まれ。明治大学政治経済学部卒業後、西武百貨店に入社し、紳士服を担当。実家の衣料品店の手伝うため、同社を退職し、30歳のとき『Eiji's Tailor』でマンガ家デビュー。代表作はドラマ化された『ドラゴン桜』など。

特別編 前編

成功の秘訣は「素直さ」と「非常識」!?

「マンガなら描けそう」で新人賞
マンガ家になろうと思ったきっかけをお聞かせ下さい。

三田先生: これは、よく聞かれるんですが、せっぱつまってマンガ家にでもなろうと思ったのがきっかけです。

どういうことですか?

三田先生: 大学卒業後、西武百貨店に入社したのですが、1年ぐらい経つと、衣料品店を経営していた父から「体調も悪く業績も芳しくないので、戻って店を手伝ってくれ」と言われ、戻りました。その2年後、父が他界し、しばらくすると多額の借金があることが分かりました。それからは一緒に店をやっていた兄と2人で、取引先から借金返済の催促の電話がかかると「もう少し待って」と言って何とかその日をしのぐ、そんな毎日でした。

それからどうしたのですか。

三田先生: もうとにかくお金が欲しくて欲しくてたまらなかったのです。そんな時、目に入ったのがマンガ雑誌に載っていた新人マンガ家募集の広告でした。「これだ!」と思い、マンガを描いて応募しました。

もともとマンガの心得があったのですか?

三田先生: 全くありません(笑)。でもなんとなく、マンガなら描けそうな気がしたんですよ。

普通の人ならとてもそうは思わないと思いますが。応募した作品はどんなストーリーだったんですか?

三田先生: 衣料品店にひょんなことから現れた人が、そのお店の主人にアドバイスをして、そのアドバイスを元に業績がよくなるというものでした。まあ、当時の私の心境です。そのマンガで3社に応募し、そのうち1社で新人賞を取りました。副賞で50万円をもらったんですよ。原価なんてほとんどかからないで50万円ですからね。いい商売だなーと思いました。

編集者との出会いがマンガ家としての転機に
新人賞を取られたあとはどうでしたか?

三田先生: 最初はマンガって描きたいことを描いてお金がもらえて、楽でいいなと思っていました。でも実際は違いました。新人賞を取ったということで、仕事は細々とありましたが、家族が何とか食べていけるという程度でした。

やはり、厳しい世界なんですね。

三田先生: このままでは、ジリ貧だと悩んでいたとき、マンガ雑誌『漫画ゴラク』の編集者の方に月1回の連載を頼まれたのです。それまでの私は、描きたいテーマを描ければそれで満足でした。しかし、その編集者に「どうせ描くなら読者アンケートで1位取りましょう」と言われました。その当時、ゴラクでは『ミナミの帝王』が不動の1位でしたので、「えっ、何言ってるの。無理に決まってるじゃない」と思ったのです。

それが、この編集者は「やりましょう、やりましょう」の一点張り。その内、私もだんだんやる気になってきました。

その編集者の方との出会いがマンガ家としての転機になったのですね。

三田先生: はい。私も含めほとんどの人がやる前から自分の可能性の上限を決めているんじゃないですかね。そういうものの考え方を打破してくれたこの方には本当に感謝しています。

でも多くの人には三田先生のように転機となる出会いはないのではないでしょうか。

三田先生: そんなことはありません。誰にでも転機は訪れるものです。ただ、私は自分で言うのもなんですが素直だったから、その転機を上手く活用できたのだと思います。

素直というのは具体的には?

三田先生: 真似をするということです。世の中には成功のための原理・原則というものがあると思います。そしてその原理・原則を一番分かっているのは成功した人たちです。だから、そういう成功している人の言うことをまずは真似してみる。ほとんどの人は最初から、「そうかなぁ、私は違うなぁ」と真似しない。だから人生の転機であるはずの出会いを活かしきれていないんじゃないでしょうか。

例えば三田さんはどんなことを真似られたんですか?

三田先生: 編集者からどの週のどのマンガが1位か、アンケート結果を教えてもらい、これを参考にすると良いと言われたので、徹底して読み込みました。すると、1位になる人気の作品には、ありえないことをあたかもありえるように描いている、しかも現実より3倍は大げさに描いているという共通点があることに気づきました。そして私もその共通点を真似て描き始めました。一度パターンができたら、後はそれを継続すればいいですからね。

『ドラゴン桜』ヒットの要因は「非常識さ」
代表作の『ドラゴン桜』のストーリーをお教え下さい。

三田先生: 経営不振のため倒産の危機にさらされている龍山高校に、破産管財人としてやってきた元暴走族の弁護士・桜木建二が主人公です。単なる債権整理より学校の建て直しに成功すれば弁護士としての知名度が上がると考えた桜木は、落ちこぼれ生徒を「1年で東大に合格させる」と宣言し、その宣言どおり合格させるまでの物語です。

ヒットの要因はどの辺にあるとご自身では分析されていますか?

三田先生: 意外性があり、かつ納得できるストーリーだということが受けたんじゃないでしょうか。

一般的には東大に入るのは難しいといわれています。そこで、「東大に入るのは簡単だ!」と言われると「えっ!」と驚きますよね。マンガの中で桜木は、東大の中でも特に難しいとされる理系を受けるように言うのです。しかも舞台はいわゆる“落ちこぼれ”の高校です。

でも、ただ意外性を示して驚かせるだけではありません。受験科目ごとの点数なども詳しく、そして分かりやすく説明しています。だから驚いた後、納得もできるんです。

意外であり、かつ納得できるストーリーということですね。

三田先生: はい。意外性というのは「非常識」と言い換えられるかもしれませんね。今まで常識だと思っていたことが、実はそうではないということが多々あるのではないでしょうか。

例えばマンガ家の場合、アシスタントを雇い、締め切り前は徹夜になる。それが常識だと教えられました。マンガ家の先輩には、アシスタントは昼に出社し、朝まで仕事をする。机の上には、常にお菓子を置いておかないといけない、とも教えられました。

確かに、一般人が想像する典型的なマンガ家の姿ですね。

三田先生: ええ。私も最初は素直にそのようにしました。でも効率もアシスタントの定着率も悪い。そこで、アシスタントの出社時間を朝の9時にして、夕方の6時ごろには帰る。お菓子は机の上には置かず、3時に一斉に休憩を取りその時にお菓子を出すという風にがらりと変えてみました。すると、仕事が非常に効率的に進められるようになりました。これはほんの一例ですが、世の中の常識が間違っていることがあると考えた方がいいですね。

でも常識が間違っているのを発見し、それを変えていけるのは最初からなんでも疑っているような人ではありません。まずは素直になることが必要です。「コレ、いいよ」と言われたことを一度試してみてから、「なんか違うな」と思ったら変えていく、そういう柔軟性が必要だと思います。

ドラゴン桜の原点は小学生のころの経験?
三田先生の小さい頃の経験や、マンガ家になってからの苦労話などをお伺いしました。