明日の仕事にきく。読めば俄然やる気になる ビジネスキーパーソンwebインタビュー

株式会社オリエンタル代表取締役社長
尾崎友俐

●尾崎友俐(おざきゆり)1988年洗足学園短期大学音楽学部卒業、クルージング会社での勤務を経て95年に世界一周旅行の後、焼肉店を開店し起業。並行し、エジプトビールの輸入販売や、飲食店のプロデュースなどを行う。現在は、株式会社オリエンタルの代表取締役として、企業コンサルティングとともに「女性総合研究所」の運営など女性のライフスタイル支援を行っている。

第41回 前編

月商2億がわずか1千万円に。
どん底から学んだこと

「何もかもを正直に発信」の独自プロモーション手法
最初に会社概要をお聞かせください。

尾崎社長:人、企業、サービスなどあらゆる分野でのプロモーションのコンサルティングを行っています。簡単にいうとクライアントの「有名にしてください」というご要望の実現を手助けする仕事です。

人知れず努力をして、いいものを作っている企業もたくさんあります。しかし、残念ながらそれを世間に向けて発信しないと、お客様には分かってもらえません。その「発信の仕方」をコンサルティングしています。

御社のコンサルティングの特徴は何でしょう?

尾崎社長:格好悪い面も含めて、何もかも正直に発信することです。

製品やサービスをプロモーションする手段の1つに広告があります。私は広告とはいい部分をブランド化するものだと考えています。しかし、さらに一歩踏み込んで、お客様に親しみを感じてもらい、応援したいと思っていただくためには、いい部分だけを見せていてはだめです。友達関係でも、本音や悩みをもらさず、格好悪い面を一切見せない人とは親しくなれないのと同じです。本当の意味でのファンを作るためには、格好悪い面も正直にさらけ出すことが必要だと思います。

そんな手法に抵抗するクライアントも多いのでは?

尾崎社長:クライアント様もそうですし、うちのスタッフの中にも「えっ、そんなことを表に出しちゃうの…」と抵抗を感じる人もいます。ですので、まずはスタッフを説得し、納得させることが仕事の第一関門ですね。

起業資金はたった180万円。創意工夫で成功した焼肉店
起業を思い立たれたきっかけはなんだったのですか?

尾崎社長:「1999年の7の月に地球が滅ぶ」というノストラダムスの予言がありましたよね。私は、人生がそこで終わってしまう可能性があると、ものすごく意識していました。ですので、遣り残したことはないと大満足で死ぬために天職を探していました。

私は短大の音楽学部卒業でしたので、ピアノも一生懸命やりました。また体育会系でヨットで国体にも出場しました。ピンクのハーレーで日本中を走ったりもしました。でも、どれもとことんまでやってみても、これは違うという感じでした。また、クルージング会社で働いていましたが、きれいな青い海の上で働くのは本当に楽しかったのですが、楽しいだけで天職とは感じられませんでした。

そこで、いったん全てをリセットしようと思い、97年、27歳のときに世界一周旅行に出ることにしました。ちょうど、1ドルが79円をつけた円高のころでしたので、激安で世界一周することができました。

そして帰国後、世界も一周したし、次は何をしようかと考え、「難しいことに挑戦してみよう」と思いました。そのとき、「難しいもの」として思い浮かんだのが経営、つまり社長になるということでした。父が一時、経営をしていたことがあり、資金調達や売上げなど、経営というのは難しいものだというのを知っていましたので。

最初は焼肉店だったそうですね。
尾崎社長:はい。私は調理できるわけではないので、焼肉店であれば場所さえあればお客様が自分で焼いて調理してくれるので、焼肉店にしようと。
最初は色々ご苦労されたのでは?

尾崎社長:一番の苦労はお金がないことです。手元にあったのは、身の回りのものを売ってできた180万円だけで、その大半は不動産に使いました。でも、お金がなかったからこそ、工夫する力が身に付いたのだと思います。

せっかくお店をオープンしても、チラシを刷って配るお金なんてありません。じゃあ、どうやってお客さんに来てもらうのか。知恵を絞った結果、普通なら店の裏側に設置する換気扇を入り口の前につけたんです。すると、煙とにおいにつられてお客さんが入ってくる。もし、お金が十分にあったら、こういうアイデアを思いつくこともなかったでしょう。

BSE騒動が直撃。客足途絶え、売上げゼロに
その後は順調に店舗数も増やされたのですね。

尾崎社長:はい、最終的には13店舗まで増えました。しかし、01年の9月10日に状況が一変しました。日本でBSE(牛海綿状脳症)に感染した牛が発見されたのです。

その発表があってから、パタリと客足が途絶えました。中には丸1日売上げがゼロという店もありました。それまで台風が来ようが、売上げゼロということは一度もなかったので、「これは相当やばい」と愕然としました。しかも、その翌日には9.11米同時多発テロです。当時、エジプト・中近東のビールやワイン、ハーブの輸入も手がけていて、それも大打撃を受けました。

それをどう乗り越えられたのですか?

尾崎社長:大手のチェーン店であれば、しばらく様子を見るということもできたかもしれませんが、私にはそんな余裕はありませんでした。ですので、もう業態変更し、店舗ごと売却するしかないと思いました。

なぜ売却するしかないと?

尾崎社長:これまで月商が2億円以上あったものが1千万円以下になってしまいました。これではスタッフの給料を払うこともできません。ですので、スタッフ付きで売却してしまおう。そうすれば、スタッフの給料を払う必要もありませんし、スタッフにしても業態が変わるとはいえ、働きなれた職場で働き続けることができます。ただ、焼肉屋のままでは買い手が付かないので、焼き鳥屋やカフェに業態変更したわけです。

女性の為の企業格付とボランティア『女性総合研究所』
正直さ、感謝の気持ちの大切さ
BSE騒動を乗り切り、マスコミに注目され、人気番組『マネーの虎』にも出演された尾崎社長が、仕事をする上で大切にしていることとは?