明日の仕事にきく。読めば俄然やる気になる ビジネスキーパーソンwebインタビュー

GMOインターネット
社長
熊谷正寿

●熊谷正寿(くまがいまさとし)1963年長野県出身。27歳のときに株式会社ボイスメディアを設立。95年にはインターネット事業に進出し、社名をインターキュー株式会社に変更。99年には独立系ネットべンチャーとしては初めて、JASDAQに上場を果たす。05年、GMOインターネットに社名を変更し、東証一部に上場。現在は同社代表取締役会長兼社長。米ニューズウィーク誌の「Super CEOs(世界の革新的な経営者10人)」に選ばれるなど、その経営手腕は国内外で高く評価されている。

第30回 前編

「一番になりたい!」の思いから起業

1人でも多くの方にインターネット体験を
最初に会社概要をお聞かせください。

熊谷社長: 『すべての人にインターネット』を合言葉に、インターネット関連の主に裏方の事業を手がけています。事業領域の1つ目は、ドメイン取得サービスやレンタルサーバーなどのネットインフラ事業、2つ目は「ヤプログ!」や「JUGEM」などのネットメディア事業、3つ目がネット証券やベンチャーキャピタル、ローン・クレジット事業などのネット金融事業です。この3つの柱でインターネットに関わる事業を展開しているのがGMOインターネットグループです。

ニッポンのインターネット業界には欠かせない企業として広く認識されていますよね。

熊谷社長: 私たちは、お客様に喜んでいただけるサービスを提供しながら、インターネットの拡大、そして社会に貢献したいと考えています。インターネットはまだまだ大きな可能性を秘めています。1人でも多くの方にインターネットを体験していただきたいと思っています。

これまでに、非常に高価だったレンタルサーバーの価格を劇的に下げてご提供するなど、様々な取り組みをしてきました。過去10年を振り返り、「ニッポンでWEBサイトをもっとも増やすお手伝いをした会社」だという自負があります。今後も日本中、世界中の情報を全てデジタル化するお手伝いをしていきたいと思います。

本当の意味での一番とは?
起業を志したのはいつ頃ですか?

熊谷社長: 実業家だった父の存在が大きかったと思います。ですので、昔から実業家になることには興味がありました。ただ具体的に起業を意識し始めたのは20歳のころです。

具体的にこれがしたいというのがあったのですか?

熊谷社長: いえ、それは全くなかったです。ビジネスチャンスがないかと意識して社会を見回してはいましたが、具体的に「この分野でこれがやりたい」というようなことは考えていませんでした。とにかく「何かで一番になりたい」と思い、そのためには起業する必要があると考えるようになりました。

漠然と起業を考える中、当時まだ新しかったインターネットなどに目をつけられたのはなぜですか?既存のビジネスのほうが始めやすかったのでは?

熊谷社長: 既存の業界に参入して一番になるには苦労が多いんだろうなと本能的に感じていました。だから、当時まだ競争相手も少なかったインターネットの分野に参入することに決めました。

なるほど。一番になることに強いこだわりを持たれていたのですね。

熊谷社長: はい。ただ、「一番になる」というのは、売上や利益ではありません。大事なのは、お客様に喜んでいただけて、笑顔になれるようなサービスをご提供することです。そしてお客様に喜んでいただいた結果としての売上なんです。

ニッポンのインターネットの3分の1を支えている自負
起業当時はいろいろと苦労も多かったのではないですか?

熊谷社長: そうですね。ゼロからのスタートですので、いろいろと大変なこともありました。一方で、今、これだけ会社の規模が大きくなると従業員であったりお客様であったり背負っているものが大きいですので、別の種類の大変さがあります。

やめてしまおう、投げ出してしまおうと思うことはありませんか?

熊谷社長: それはないですね。株主の皆様、社員、そして関係会社やお取引先。様々なところに責任を負っています。それに、「ニッポンのインターネットの3分の1を支えている」という自負もあります。それを途中で投げ出す、ということは考えられないですね。

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手帳に書き込む夢、目標
システム手帳を活用し夢をかなえたことで有名な熊谷社長に、手帳を活用することのメリットを伺いました。また、リーダーとしての心がけや、休日の過ごし方などについてもお聞きしました。