明日の仕事にきく。読めば俄然やる気になる ビジネスキーパーソンwebインタビュー

株式会社セプテーニ
会長兼CEO
七村守

●七村守(ななむらまもる)1955年、大阪生まれ。79年、山口大学卒業後、リクルートに入社。大阪、岡山、東京に勤務したのち、北関東支社長に。90年に独立して、仲間7人とセプテーニを設立。01年8月にジャスダック上場。今年10月には持ち株会社への移行を予定し、グループ全体の企業価値の向上を目指す。
(株)セプテーニWebページhttp://www.septeni.co.jp/

第17回 後編

自分の人生の主人公は自分

人と違っていても恐れる必要はない
経営者になろうと思ったのは、いつからですか?

七村会長: 経営者になりたいと思っていたわけではないのですが、小学生のころから自立心が強く、自分で責任を持って決断する仕事をしたいという思いは漠然と持っていました。

独立心の強い小学生というのも珍しいですね。

七村会長: じつは10歳のときに父が他界しているんです。母が苦労している姿を見て育ったので、自分がしっかりしなくてはいけないという気持ちが人一倍強かったのだと思います。そういう意味では、少し変わった子供だったかもしれません。

みんなと考え方や感性が違うと、不安になったりしませんでしたか?

七村会長: 小学5年生のとき、骨折して3週間ほど学校を休んだことがありました。久しぶりに学校にいって、国語の授業中、先生の質問に僕だけがみんなと違う答えを言ったんです。じつは僕が正解でみんなが間違っていたのですが、そのとき先生が非常に良い褒め方をしてくれた。「七村は3週間も休んでいたのに正解を選んだ。それ以上に偉いのは、まわりに流されずに勇気を出して自分の考えを言ったことだ」ってね。この言葉がうれしくて、それ以来、人と違っていても不安に思うようなことはなくなりました。

過去を肯定して生きる
お父様を亡くされたあとは、かなり苦労もされたのですか?

七村会長: 大学に行く資金を貯めるために、高校生のころからいろいろアルバイトしていました。受験料や、入試のときの交通費も自分で働いて貯めました。勿論授業料や生活費も。でも、大学に行くという明確な目的があったから、とくに辛いとは思いませんでしたね。

不幸な境遇に置かれると、精神的に弱くなって社会からドロップアウトしてしまう人もいます。七村会長が前に進んでいけたのはなぜでしょう?

七村会長: 僕は過去を肯定して生きることにしています。だから、父が他界して経済的に苦しかったことも、自分にとってはプラスだと思っているんです。

プラスに捉えようとしても、なかなかできない人も多いようです。

七村会長: 「過去を否定しないこと」と、「過去を肯定すること」は微妙に違うんじゃないかな。過去を否定しないように努めるというのは、裏を返せば、深層心理で過去にコンプレックスがある証拠。不幸な境遇や失敗をプラスに捉えられない人は、心のどこかでネガティブに考えている部分があるのだと思います。そうではなくて、もっとポジティブに「いろんな出来事があるからいまの自分があるのだ」と考えるべきでしょうね。

迷ったら変化するほうを選べ
34歳のときに独立されたそうですが、迷いはありませんでしたか?

七村会長: それほど長くは悩みませんでした。すでに母も他界していて独立に反対する人はいませんでしたし、年齢的には良いタイミングだと思いましたから。

転職や独立で悩んでいる人は多いと思います。何か決断のコツがあれば教えてください。

七村会長: 私の場合、とことん考えても答えが出なかったときは、つねに変化するほうを選ぶようにしています。考えた末にどちらも捨てがたいと思えるときは、おそらくどちらに進んでも間違いではないでしょう。ただ、どうせどちらかを選ばなければいけないのなら、変化するほうを選んだほうが面白いじゃないですか。人によって選ぶ基準は違うかもしれませんが、いずれにせよ自分の中で判断のルールを決めておけば、いつまでも悩んで前に進めないということはないはずです。

最後に読者の方にメッセージをお願いします。

七村会長: 僕はよく「自分の人生の主人公は自分である」といいます。独立や転職をするとき、決断するのも、その結果に責任を持つのも他ならぬ自分です。「家族のために」、「子供のために」というセリフを言い訳に使わないで、ぜひ主体的に自分の人生を生きてもらいたいですね。

編集を終えて
「関西弁でええかな? そのほうが気楽に話せるから」と、本音トーク全開で取材に対応してくれた七村会長。人によっては口が重たくなるような話題も、湿っぽくなることなく、明るい口調で話してくれたのが印象的だった。この前向きなパワーが、会社を成長させる原動力になっているのかもしれない。