明日の仕事にきく。読めば俄然やる気になる ビジネスキーパーソンwebインタビュー

株式会社マネックス証券
社長CEO
松本大

●松本大(まつもとおおき)1963年生まれ。87年、東京大学法学部を卒業後、ソロモン・ブラザーズ・アジア証券に入社。90年にゴールドマン・サックス証券に転職し、94年には史上最年少でゼネラル・パートナーに就任する。99年に、日本の金融業界に一石を投じるべく株式会社マネックスを設立、現職に至る。
マネックス証券(株)Webページ http://www.monex.co.jp/

第16回 前編

自分の理念実現のため一からの再出発

供給者側だけの論理で動く金融業界を打破
御社はマネックス夜間取引(マネックスナイター)を始めとして、他の証券会社では見られないサービスや商品を積極的に展開していらっしゃいます。

松本社長: ビジネスでは、お客様のニーズに応じて商品をデザインして、それを提供するのが普通です。ところが日本の金融では、その当たり前のことをやってこなかった。供給者側の論理で、いきなり「これしかありません」と言って提供してきただけです。その状況を変えたいという気持ちが、うちにしかないサービスや世界初の商品の提供に繋がっているのでしょう。

今年4月に開始した「世界債マネックスオークション(マネオク)」は、どんなサービスですか?

松本社長: 機関投資家の世界では、債券が新規に発行されるときに機関投資家側が「金利が○○%なら買います」という注文を出し、それに応じて債券が発行されます。この仕組みを個人向けに取り入れたのが「マネオク」で、おそらく世界初の試みになります。

画期的なサービスですね。

松本社長: ただ、発想は単純ですよ。私を含めて社員たちが「自分だったらどんな商品やサービスが欲しいか」、「自分の親に勧めるとしたら、どんな商品やサービスがいいか」というところから発想をスタートさせただけですから。人ごとではなく自分に置き換えて考えれば、自然に簡単でウソがない商品やサービスが生まれてくるものだと思います。

片方しか選べないのなら、先に進む道を選びたい
昔から起業することをお考えだったのですか?

松本社長: いや、起業の半年前まで、私の辞書に「起業」という言葉はまったくありませんでした。

どういう経緯で起業することになったのですか?

松本社長: 当時、勤めていたゴールドマン・サックス証券で、個人向けのオンライン証券をやろうという提案をしました。私としては、日本の資本主義のためには、個人向けのオンライントレードが絶対に必要な存在になるという確信がありました。しかし、残念ながら会社では実現しないことになり、仕方なく自分で起業する道を選んだのです。

当時はゼルラル・パートナー(共同経営者)という、将来を約束された立場でいらっしゃいました。会社を辞めるかどうか、相当、悩まれたのでは?

松本社長: そうですね、20日間、たっぷり悩みました。金融人として、また1人の個人として、会社を辞めてでもやりたいことがある一方、会社に残って仕事を続けるべき理由もある。どちらの選択にも相当な理由があるので、両方を天秤にかけて比べても、なかなか答えが出なかったですね。

最終的には、どうやって決断を下したのですか?

松本社長: 比べても仕方ないので、思い切って一方を捨ててしまうことにしました。どうせ捨てるなら、先に進む道を選んだというわけです。

エネルギーは、ハッピーになるために使え
起業は思い切った決断でしたね。

松本社長: 年齢も関係していたんじゃないかな。会社を辞めたのは35歳のとき。会社に残る決断をして、自分がやりたいことに未練を持ったまま、残りの人生を生きることになるのは嫌でしたからね。もし50歳のときに同じ選択を迫られたら、違う答えを導き出していたかもしれません。

起業したことに対して、後悔されたことはありますか?

マネックス証券 松本社長: 起業して4年間は赤字で大変でしたが、自分の決断を後悔したことはないですよ。

後悔しないコツがあれば教えてください。

松本社長: もともと楽観的な性格なんです(笑)。もちろん意識的に悩まないようにしている部分もあります。人間は万物の霊長だというのに、すぐノイローゼになるでしょう。本来、もっとも優れているのならば、もっともハッピーでいるべきです。不幸でいることに、せっかくの知能やエネルギーを使うなんて愚の骨頂。くよくよ悩まないで、良い方向に考えるクセをつけることが大切だと思います。

好きな仕事を探すより、目の前の仕事を好きになれ
サラリーマン時代よりハードな日々を過ごされている松本社長に、ストレスとの付き合い方やリフレッシュ法についてお伺いしました。