明日の仕事にきく。読めば俄然やる気になる ビジネスキーパーソンwebインタビュー

株式会社ネクシィーズ
代表取締役社長
近藤太香巳

●近藤太香巳(こんどう・たかみ)1967年大阪府生まれ。87年にネクシィーズの前身日本電機通信を設立。それまで高額で一括購入が必要だった電話加入権をクレジットで分割購入できる「テルミーシステム」を考案。00年、社名をネクシィーズに変更し、「ヤフーBB」販売などを手掛け業績を拡大させ、02年にはナスダックジャパン(現ヘラクレス)に上場。04年には創業社長としては当時最年少の37歳で東証一部上場を果たす。
(株)ネクシィーズWebサイトhttp://www.nexyz.co.jp/

第15回 前編

借金を背負ったフリーターから
上場企業の社長へ

「ここでやめたら俺の人生は終わりだ」という覚悟
昔から社長になりたいという想いをお持ちでしたか?

近藤社長: 最初は会社をつくろうとか、そういう大きな夢は全く持ってなかったですね。

それが変わったきっかけは?

近藤社長: 私は、高校を中退し、その後フリーターのような生活を送っていました。そんな時、どうしても車が欲しくて買ったのですが、17時間後には事故を起こしてしまい、車は全損。220万円の借金だけが残りました。 それからは生活も荒れ、知人からは「お前の人生は終わった」と言われるような状況でした。

しかし、「このままではいけない」と思い直して、営業の仕事を始めました。同期がほとんどやめてしまう厳しい仕事でしたが、私は頑張り続け、その会社でトップの営業マンになりました。

かなり厳しい仕事だったようですが、なぜ続けられたのですか?

近藤社長: 高校中退、借金、自暴自棄な生活と、私は落ちるところまで落ちたからこそ、「ここでやめたら俺の人生は終わりだ」という覚悟が生まれたんですね。それまでの私はいろんなことから「できないかもしれない」と逃げていました。でも、それでは何も変わらないことに気づいたんです。

父親の「自分でやってみたら」で起業を決意
営業マンとして成功されて、働き続けるのではなく会社を興そうと思ったきっかけは?

近藤社長: その会社で大変お世話になっていた上司がやめることになり、ふと「何のためにこの会社にいるんだろう?」と思ったんです。そんな時、別の会社から声をかけられたんです。より実力主義の会社だというので、今以上に自分の力が発揮できるならと転職を決意しました。しかし、実際入ってみると違っていたんです。個々の評価ではなく。数名のチームとしての評価で報酬が決まるというシステム。僕の個人成績が良かっただけに、周りは働かなくてもそれなりの待遇を受けられるので、頑張っているのは自分だけ。僕の利益をみんなで分け合っている。そんな感じでした。

それを父親に相談したとき、「じゃあ自分でやってみれば」と言われ、「それもありだな」と、50万円の創業資金で会社を作り、電話加入権をクレジットで分割購入できる「テルミーシステム」で成功しました。

創業後も色々とトラブルがあったそうですね。

近藤社長: 最初は大阪で会社を作り、その後高松に移り、さらにビジネスを拡大させようと東京に出てきました。しかし、その直後、信頼していたパートナーに裏切られ、これまで築き上げたものを全て失いました。

普通なら、そこで全てを投げ出してしまう人も多いですよね。でも近藤社長はそうはされなかった。

近藤社長: 一言で言うと、それは中途半端に頑張った者と、一生懸命頑張った者の違いだと思います。人間は言い訳を考えるのが上手い。中途半端に頑張っていると、ピンチがきたら「世の中はこうだから、誰々がどうだから」といった言い訳を考えて、あきらめることを正当化して、楽になろうとするものです。でも、私は本当に無我夢中で、「ここでやめたら俺には誇れるものは何もない」と思っていましたから、「努力し続ければ、挫折することはない」と自分を鼓舞し続け、携帯電話の販売など新しい事業内容で復活することができました。

あきらめるという選択肢はなかった
しかし、努力だけではどうにもならないこともあるのでは?

近藤社長: 00年にはマザーズに上場することが決定していました。しかし、それが急に上場中止という連絡を受けたのです。理由はITバブルが崩壊したため。売上が足りないとか、利益が出ていないなど、自分たちの問題ではなく、情勢が変わったからです。上場中止はマザーズとしては初のことで、まるでバブル崩壊の象徴のように報道され、業績にも大きな影響を受けました。

上場中止を聞かされ、まず何を考えられましたか?

近藤社長: まず「社員にどう説明したらいいのだろう」と途方にくれました。また、上場廃止の影響から資金繰りも非常に厳しいところまでいきましたが、諦めず打開策を探したところ、約1ヶ月後に、ソフトバンクインベストメント(現SBIホールディングス)の北尾(吉孝)氏から、30億円の出資を受け、「ヤフーBB」の販売代理店業などで業績はさらに拡大し、今では東証一部に上場するまでになりました。色々と戦略を練り直していたその1ヶ月間は、今までで一番長く感じられた1ヶ月でした。

そこでも決してあきらめることはなかったのですね。

近藤社長: あきらめるという選択肢は私の中にはありませんでした。あきらめたら今まで自分についてきてくれた人はどうなります?だから、どんなにピンチでもあきらめようと思ったことは1度もありません。

「今」の連続が未来を作る
急な上場中止でピンチに陥りながらも決してあきらめることのなかった近藤社長。現在では社長業のほかに講演などを積極的に行っている近藤社長に、社会に出ることの楽しさや、なかなか大きな決断をすることができない人へのアドバイスを伺いました。