明日の仕事にきく。読めば俄然やる気になる ビジネスキーパーソンwebインタビュー

ロフテー株式会社
代表取締役専務
磯貝俊介

●磯貝俊介(いそがい・しゅんすけ)ロフテー株式会社代表取締役専務。1959年生まれ。早稲田大学在学中から大手企業でバイトし、そのまま82年入社。90年退職し、アメリカに留学。95年サンフランシスコ州立大学でMBAを取得後、 家業であるロフテーに入社した。
ロフテー(株)webサイト:http://www.lofty.co.jp/

第5回 後編

身長2mのボスに教わった
コミュニケーション

入学までに2年かかったアメリカ留学
アメリカ留学についてのエピソードをお聞かせ下さい。

磯貝氏: それまで働いていた会社を辞め、家業を継ごうと決めましたが、その前に経営学についてしっかりと学んでおこうと思い、アメリカでMBAを取得することにしました。会社を辞めたのが3月で、5月にはアメリカに渡っていました。

退職からたった2ヶ月でアメリカに渡られたということは、もともと英語がお得意だったのですか?

磯貝氏: そんなことはありません。今考えると無謀ですね(笑)。アメリカで1年、英語を勉強してから、次の年に入学しようと思っていたのですが、結局2年4ヶ月もかかってしまいました。

相当苦労されたようですね。

磯貝氏: つらかったですね。ビジネススクール(経営大学院)に入学するのに、GMAT(※注)という試験で合格点に達しないといけないのですが、本当に点数が取れなくて苦労しました。特に、言語能力(英語)は2割ぐらいのできでした。合格するのに6割から7割は取らないといけなかったと思うのですが、それが2割ですからね。

(※注 GMAT−ビジネススクール入学に必要な適正テスト。言語能力テスト、数学能力テスト、ライティングの3つの分野の試験が課される。)

下宿で学んだ文化の違い
そんなに苦手だった英語をどのようにしてマスターされたのですか?

磯貝氏: 今から思えば、学生寮ではなく、レジェンスクラブという社会人が住むアパートに住んだのが良かったです。日本人留学生も多い学生寮と違い、そこに住んでいれば自然と英語を話さなければいけませんから。

レジェンスクラブは食事つきで、食後にロビーで皆がくつろいでいました。私は何とか話し相手を作ろうとロビーに行き、最初に目の合った人に話しかけようと決めました。そして最初に目が合ったのが身長2mの大男でした。正直、すごく怖かったのですが、声を掛けてよかったです。彼はそのレジェンスクラブのボス的な存在で、よく面倒を見てくれました。

彼とはどんな話をされていたのですか?

磯貝氏: 彼は日本の文化に興味を持っていたので、「僕が日本の文化について教えるから、かわりに英語を教えてほしい」と頼みました。彼との会話を通して、アメリカと日本の慣習の違いを身に付けることができましたね。

例えばどんな違いが?

磯貝氏: アメリカでは発言をしない人は単位も取れないし存在も認められないということ、そしてユニークが意見を重んじられるということです。また、多くのアメリカ人は外国の文化に興味を持っているということも知りました。このことは、例えば外国の方と商談を進めるときなど、後々のビジネスでも役に立ちました。

これから海外で学ぼうと思っている人に何かアドバイスはありますか?

磯貝氏: まずは現地で友達を作り、話すことです。話題は自分が良くわかっている日本のことで良いと思います。異文化に興味を持っている外国の方は多いですし、我々が思っている以上に、“Made in Japan”が好きです。だから、英語力がないとあきらめず、日本のことを話題にして話せばよいのです。

アイデアを出したいときはとにかく歩く
お忙しいとは思いますが、気分転換はどのようにされていますか?

磯貝氏: 気分転換というか趣味なんですけど、3000円以内の安くておいしいイタリアワインを見つけることです。安くても「うまいっ!」というのを見つけた時には顔が緩みます。

次々と新しい枕を発売されていますが、アイデアはどのように浮かんでくるのですか?

磯貝氏: アイデアを出したいときや考えをまとめたいときはとにかく歩くことにしています。毎日、会社のある日本橋と銀座の間を30分位かけて歩いています。歩いていると不思議とアイデアが出てくるんですよ。皆さんもアイデアに詰まったときにぜひ試してみてください。

編集を終えて
インタビュー中も気配りを忘れず、色々な話をしてくださった磯貝氏。こちらの聞きたいことを的確に把握し、質問に答える姿を見て、この方は本当にコミュニケーション能力の高い方なのだと感じた。また、仕事では「現場第一主義」を信条に、休みの日を利用して自社の店舗を見て回り、「お客様のことを一番知っている」販売員とのおしゃべりも欠かさない努力家の面もある。さまざまな面でビジネスのお手本になる方だった。(インタビュアー:まぐまぐ 野田宜成)