明日の仕事にきく。読めば俄然やる気になる ビジネスキーパーソンwebインタビュー

ケンコーコム株式会社
代表取締役社長
後藤玄利

●(ごとう・げんり)1967年、大分県で80年の歴史を持つ地場の製薬会社の創業家に生まれる。89年東京大学教養学部基礎科学科卒業後、アンダーセンコンサルティング(現アクセンチュア)入社。94年実家のうすき製薬株式会社に取締役として入社。同年株式会社ヘルシーネット(03年2月にケンコーコム株式会社に社名変更)を設立し代表取締役に就任。97年うすき製薬株式会社代表取締役に就任(01年より取締役)。00年5月に健康関連商品の通販サイト「ケンコーコム」を立ち上げた。
ケンコーコムwebサイト:http://www.kenko.com/

第3回 後編

自転車で通勤することも。
名前で呼ばれる社長

ジム通いで健康維持
ケンコーコムという会社の社長ですので、やはり健康には気を使っていらっしゃるのではないですか?

後藤社長: そうですね、気を使っているほうだと思います。週2、3回は時間が空いたときに1時間ほどスポーツジムに行っています。

他に健康のためにやっていることはありますか?

後藤社長: たまに、今夜は酒を飲まないというときは自転車で会社に来ることもあります。

お忙しいと思いますが、スポーツジムには定期的に行けるのですか?

後藤社長: 結構行っていますよ。行けないとそれがストレスになったりします(笑)。

最近、健康の重要さを実感するような出来事はありましたか?

後藤社長: 先日、休みの日に子どもと遊んでいたのですが、上の子が背中にジャンプしてきたんですよ。その瞬間に腰を痛めてしまって、動けなくなりました。そのとき、日ごろの鍛錬は重要だなーと感じました。

「いつか私も何かするんだろう」と思っていた子供時代
小学校のころはどんな子供でしたか?

後藤社長: 人と違ったことをやるのが好きでした。友達との競争で一冬、半そで半ズボンで過ごしたこともあります。

競争で半そで、半ズボン!?

後藤社長: ええ、誰が一番寒さに耐えて半そで、半ズボンでいられるかを競争していたんです。

製薬会社の子どもとして育ち、跡をつぐのだという意識はありましたか?

後藤社長: なかったですね。跡を継げと言われてもいなかったですし。ただ、実家と会社が同じ敷地だったので、「いつか私も何かするんだろうな」と漠然に思っていました。その思いがあったので、大学卒業後、入社した直後から5年後には何かやろうと考えていました。

社長らしくない?社員から名前で呼ばれる
ここで社長をよく知るケンコーコムのPR担当中郁乃マネージャーにおいでいただき、社長の人柄などについて語っていただきました。
社長はどんな人ですか?

中マネージャー: 社内では、社長のことを玄利(げんり)さんと呼んでいるんです。社長らしくないというか、とっても話しやすい人です。社外の方と打合せするときに、玄利さんと呼んで恥ずかしくなることがあります。

04年6月にマザーズに上場されましたが、上場の前後で社長や会社は変わりましたか?

中マネージャー: まったく変わらないです。確かに取材の本数は増えましたが、社内の雰囲気も社長も変わらないですね。

上場すると浮かれた雰囲気になる会社もありますが。

中マネージャー: 少しは変わったほうがいいのでしょうけど(笑)。

キャリアアップの秘訣とは?
後藤社長は有名企業に就職された後、会社を立ち上げ成功を収められましたが、成功の秘訣は何だと思われますか?

後藤社長: やりたいと思ったことを、失敗を恐れずにやっていくことですね。躊躇(ちゅうちょ)すると後悔します。もし、うまくいかなくても経験が後に活きてきます。

それと自分に縁があることを大切にすることですね。家が製薬会社でしたから、健康関連の会社を立ち上げました。縁があるということは、自分に向いているし、人より有利だと思います。縁があることでうまくいかなければ、何をやってもうまくいきません。

編集を終えて
はじめて後藤社長とお会いした印象は、「とても社長とは思えない、気さくな感じの人」だった。しかし話し始めると、とても思慮深く自身の事業分析をされている方だということが分かった。東大を卒業し、有名コンサルティング会社に就職。その後、会社を立ち上げられただけあって、今までの戦略、今後の展開をよく分析し、考えられている。その社長から、縁のある分野にリソース(資源)があるという話が出たのは興味深かった。ケンコーコムのロゴが手書き風になったのは、社長が「温かみを出したかったから」だという。その言葉に、インターネット企業にはなかなか感じられない人間味がにじみ出ていた。 (インタビュアー:まぐまぐ 野田宜成)